2014年2月19日水曜日

『戦場にかける橋』はなぜ面白いのか



戦場にかける橋The Bridge on the River Kwai (1957)
監督 : デヴィッド・リーン
原作 : ピエール・ブール『戦場にかける橋』
製作 : サム・スピーゲル

 言わずと知れた映画史に残る最も重要な映画の一つ、『戦場にかける橋』という映画がある。製作から50年以上過ぎた今でも、デヴィッド・リーンの『戦場にかける橋』『アラビアのロレンス』を最高傑作として語る人もいる。その一人がシドニー・ポラックであり、スティーブン・スピルバーグだ。

シドニー・ポラック「現代のCGを駆使しても作ることができない映画だ
スティーブン・スピルバーグ「自分の映画を撮る前に必ず観る映画の一つだ

 戦争映画と言われる映画は数多いが、『戦場にかける橋』は異色だ。この映画の特徴は「どちらが勝つか負けるか」「作戦が成功するかどうか」でもなければ、「臨場感あふれるアクション」を期待したとしたなら、拍子抜けするかもしれない。では反戦映画なのかと言えば、その言葉以上の深みを突きつけられる。
 この映画は、登場人物達が何を考え、何を語り、どう行動するのかに重点を置き、彼らの複数のストーリーが絶妙に絡み合いつつ、ラストシーンのクワイ河橋に集結した後、驚くような結末を迎える。この脚本の背後に隠れた皮肉とユーモアに気付いた時、たまらなく面白くなり何度でも繰り返し観たくなる、そんな映画なのだ。

キャラクターのバランスと配置

主要な登場人物は以下の5人。このバランスが完璧だ。

斉藤大佐:早川雪洲

 ビルマ(現ミャンマー)とタイの国境付近、日本軍第十六捕虜収容所の所長。タイ〜ビルマ間の鉄道を開通するために連合軍や現地人に過酷な労働を強いるが、劣悪な環境の中で死んでいく者も多かった。演じるのは既にハリウッド初のアジア人スターだった早川雪州。撮影時は60代後半だった。
 鉄道開通のために重要であるクワイ河橋の建設が期限までに間に合わなかった場合、自決する覚悟がある程の責任感の持ち主だ。武士道を貫く典型的な日本軍の軍人かと思わせるが、実は工芸を学ぶためにイギリス留学をしたが、エンジニアに転向し、軍に入ったという経歴だ。英語が堪能で、当時の日本人としては随分国際的な人物という印象だ。着物を着流し書道もするが、ディナーに英国製のコーンビーフを食べ、スコッチ・ウイスキーや葉巻を嗜好する洒落たところもある。
ピンナップ・ガールのカレンダーを愛用
 さて撮影時に背の低さをカバーするために、踏み台に立たせることをセッシュ(Sessue)と呼ぶが、日本人の早川雪州(身長172cm)の名前が由来である。デビッド・リーンはこの映画で雪州にセッシュした。
Sessue - これ以後のシーンは箱でなく通常の演台に立っている

ニコルソン大佐: アレック・ギネス


 アレック・ギネスはロンドン出身の英国人俳優。『アラビアのロレンス』のファイサル王子、『スター・ウォーズ』のオビ=ワン・ケノービを演じている。『スター・ウォーズ』に出演したことを後悔しているというのはつくづく残念に思う。今作のニコルソン大佐役ではアカデミー主演男優賞を受賞した。
 英国陸軍ニコルソン大佐とその一隊は、この収容所に移送されてくるところから映画は始まる。口笛で吹く「クワイ河マーチ」は陽気だが、全員の身なりはボロボロで、負傷者も多い。ニコルソン大佐はガチガチの堅物だが、部下からの信頼は厚い指揮官だ
 

 彼は28年間、軍人として身を捧げ、わずか10か月程度しか本国に帰れずも戦ってきた。その軍人としての堅物ぶりは、斉藤大佐との最初のやり取りから全開だ。ポケットから出した紙を広げ読み上げる。「兵士の労役は認めるが、将校の労役はジュネーブ協定に違反する」と頑として譲らない。そのため大佐および将校たちは「オーブン」と名付けられた懲罰房に何日も入れられることとなるが、それでも音を上げることはなかった。
 アレック・ギネスは当初、脚本のニコルソン像に疑問を持っていた。主役としては堅苦しく退屈過ぎるのではないかと考え、少しユーモラスに演じたいと提案すると、リーン監督に強く反対された。そして議論を重ねた上、このキャラクターが作り上げられたのだった。(→IMDb.com

 「オーブン」から出された後、フラフラになりながらも背筋を伸ばし、一点を見て歩き出すシーンがある。この歩きだけで大佐の気質が描かれていて実にうまいし、生真面目さがむしろユーモラスなのだ。

シアーズ:ウィリアム・ホールデン


 シアーズは米国の海軍兵で、船を戦闘で失ない、一人生き残った後、この収容所に送られて来た。演じるのはウィリアム・ホールデン、1950年代のアメリカの大スターだ。原作ではシアーズは英国人だったが、コロムビアの意向でアメリカ人のスターを使うこととなった。加えて原作にはない「ロマンス」要素も入れられた。
 日本人、英国人ときて米国人である。斉藤大佐、ニコルソン大佐と大きく違い、シアーズは個人の自由が一番だ。収容所で死んで行く大勢の捕虜を墓に埋める作業に追われている。くすねた遺品を日本兵に渡しては、便宜を計ってもらうような男だ。
 百人以上もの英国兵がやって来たのを見て言う「忙しくなりそうだな」 
ここでは脱走して生き残る確率より、収容所で生き伸びる確率のほうが低いのだ。
 シアーズは一人助かった際、亡くなったある上官の上着を着て、自分の階級が中佐であると偽った。そうすることで収容所の待遇が良くなると考えたのだが、ここでは誰もが過酷な労働をさせられることに変わりはなかった。
脱走後にナースをナンパ! こういう行動から最後に痛い目を見るのが映画の常
軍医クリプトン:ジェームズ・ドナルド


 英国軍の軍医クリプトンはニコルソン大佐一隊と供に収容所に送られてくる。比較的中立の立場にいるため、観客の目線に近い役割だ。脇役ではあるが、彼の目線は非常に印象的で重要だ
建設中の成り行きを見る目線
ウォーデン少佐:ジャック・ホーキンス


 セイロン(現スリランカ)にある316部隊所属のウオーデン少佐は、脱走に成功したシアーズを連れてクワイ河橋に向かう任務を与えられる。目的は橋の爆破で、シアーズは再びあの場所に戻ることを拒否したのだが、説得され道案内役をすることとなった。
 ウォーデン少佐はシアーズにパラシュート降下の経験があるかと訪ねるが、シアーズに経験はなかった。「時間的に見て、降下訓練は無意味だ。1回目の負傷率は50%、2回目は80%、3回目で100%になる。結局は運を天に任せて降下するだけだ」
「パラシュートなしでもですか?」とシアーズは皮肉るが、笑われるだけだった。
 ウォーデン、シアーズを含め4人の部隊で降下を実行したが、1人失敗し死亡した。シアーズはただ運が良かっただけだった。
不謹慎だが、ギャグとして面白かった

脚本について

 原作者のフランス人、ピエール・ブールは第二次大戦中、フランス領インドシナでフランス軍に徴兵された。その後日本軍の捕虜となった実体験から、小説『戦場にかける橋』を1952年に出版する。さらに今度は日本兵を猿に置き換え、1963年にSF小説『猿の惑星』を発表した。
 原作の『戦場にかける橋』はピエール・ブールが創作したフィクションで、事実とは異なる部分がある。さらにデビッド・リーンは映画化するにあたって、ラストの橋を爆破させる部分を変更した。原作では橋は爆破されないし、ニコルソン大佐の印象的な台詞「What have I done? (私は何のために?)」もない。
(→The Bridge on the River Kwai from Wiki) 

何故ニコルソン大佐は反逆的な行為に至ったか
 アレック・ギネスはニコルソン大佐役の第一候補ではあったが、一度は断っていた。それはこの人物像が好きになれず、ピエール・ブールの原作が反英国的であると感じたからだ。そう、正にその部分 ー 矛盾を大きく抱えた主人公 ー がこの映画のユニークなところだ。
 映画『戦場にかける橋』は前半と後半ではっきりと二分される。前半は斉藤大佐とニコルソン大佐の互いのメンツをかけた攻防戦が続く。後半はシアーズとウォーデン少佐のコマンド部隊が行う、橋の爆破作戦を中心に進む。
 前半の流れはこうだ。橋の建設を急ぐ斉藤大佐は、人手の確保のため英国の将校たちにどうしても労役に就いて欲しい。だがニコルソン大佐は頑なに拒否するため、「オーブン」に入れられる。斉藤大佐は妥協案を出すがそれもだめだ。とうとう恩赦という形で全員を解放し、労役も免除することとなる
 解放されたニコルソン大佐は橋の建設を視察するが、我軍の緩んだ態度に我慢がならない、しかも日本軍の建設技術はお粗末だ! ついに指揮官として行動する。橋の建設 ー これを手段として、軍の士気が高まるはずだ! 英国の技術を投入すれば日本以上のものができるはずだ! 俺たちは決して奴隷ではない、誇りを取り戻すのだ!
 ここまでは素晴らしい指揮官だった……ニコルソン大佐は橋に魅入られ過ぎてしまうのだ。その発端はこの会話だろう…

部下の少佐:「ところで、この辺りの森にはニレ科の木が自生しているのですが、ロンドン・ブリッジにもこの木材が使われ、600年以上も耐えたそうです
ニコルソン大佐:「600年か…、それは大したものだ

 後半、ニコルソン大佐が英国人として人生の最後に何かを残したいということが語られるが、正にこの橋の建設がそこにはまったのだ。この会話が交わされた側で、軍医クリプトンのシルエットが映る…、我が指揮官は一体どこに向かっていくのか?
 今まで故意のサボタージュで建設を遅らせていた英国兵だったが、一転してやる気を出し、工期に間に合わせるよう全力だ。
うちの大佐は何だって急にやる気になったんだい?
とにかく大佐の言われた通りに働けばいいのさ
ん? こんな会話、今でもよく聞くぞ…、現代の会社や組織の話じゃないか!
 あれ程、固執していたジュネーブ協定をニコルソン大佐は自ら捨ててしまう。間に合わせるために将校たちにも作業をさせ、軽度の負傷者にも現場に出させた。しかし真っすぐ目標に向かう男は、この矛盾に対して無自覚だ。

 軍医クリプトン「お言葉ですが大佐、我々の行っている行為は反逆行為になりませんか? それほど真面目に働く必要があるでしょうか? しかも敵が作るよりもっといい橋ですよ
ニコルソン大佐「後世にこの橋を渡る人は思うだろう。これを造った英国人は、囚われの身でも奴隷に身を落とさなかったことを
これはやり過ぎた。自分の名前まで刻むなんて。認めた日本側もどうかしている

ラストシーンについて

 映画『戦場にかける橋』は2時間40分の長さの映画なのだが、スピルバーグも指摘するように、ラスト20分の橋の下のシーンに前半部と後半部のストーリーが全て集結する。
 ここではニコルソンと斉藤の関係が友情へと変化し、2人で異変を探して歩く(実は2人は良く似た同士なのだ)。映画の冒頭で顔を合わせただけのシアーズとニコルソンが、ここで初めて再会する(最も緊迫した場面で)。そして爆破作戦も初めて知ることとなるのだ…素晴らしい!
"What have I done?"  私は何のために?
爆破までの展開はいかにもスラップスティック的だ。ほら、これとソックリじゃないか…。
キートンの大列車追跡(1926)

史実との違い

(→The Bridge on the River Kwai from Wiki)
  • 英国の監督下で橋の建設が行われたということはなく、日本の「監督下」で日本の「優秀な」技師による設計で、捕虜たちは単純労働だけであった。
  • ニコルソン大佐にはフィリップ・トゥーセイという現実のモデルがいるが、実際は「できる限りの作業の遅延」行い、日本軍に「非協力的」であった。
晩年のフィリップ・トゥーセイ(似ている!)
  • 爆破による橋の破壊というのは完全なフィクションである。事実は木製の橋と鉄製の橋が同時に造られ、木製は2年で役目を終え、鉄製は改修され現在も使用されている。 
ニコルソン大佐が映画のラストでこう自問する…
ー What have I done? 私は何のために? ー
後年この映画が有名になり、今でもクワイ河橋には数多くの観光客が訪れる。
ニコルソン大佐のおかげだ。

4 件のコメント:

  1. 最近見ました。背景を調べていましたら、この詳しい解説に行き当たりました。ありがとうございます。名前も似ていると思いますし、同じBlogerですね!今、バンコクからこのコメントを書いています。明日カンチャナブリに行きます。しっかりと橋を見たいと思います。

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  2. かねて有名な映画ですが、多忙にかまけて長い間見ていませんでした。
    今日初めて最後まで見て、深い映画だなぁと思って検索していましたところ、このサイトに出会いました。お陰で大変勉強になりました。

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  3. 素晴らしい解説でした
    過度に解説的になることなく、一般の観衆にも親しんだ視線です
    なのでよく映画レビューや解説を読んでいて「?」となる箇所がありませんでした

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    1. コメントありがとうございます。
      ここのところほったらかしにしていたこのサイトですが、読んでいただける人がいて感謝です。

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